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大日古墳の石室

大日古墳の石室

大日古墳の石室

入口から見た羨道

 開いている大日古墳の石室[せきしつ]に一歩足をふみ入れると、ひつぎを納める玄室[げんしつ]まで10mほどの通路(羨道[せんどう])があります。高さはだんだん低くなっていきますが、玄室にたどり着くと、急に天井が高くなります。
 そして、玄室の中央には岩をくりぬいた家形の石のひつぎ(家形石棺[いえがたせっかん])が置かれています。石材は兵庫県高砂市周辺から持ってきたのではないかと言われています。ちなみに、ひつぎの上にあるほこらは後の時代に置かれたものです。
 大日古墳は、石室の構造が奈良県明日香村の岩屋山[いわややま]古墳に似ていることと、近畿産の石でつくられた家形石棺が置かれていることから、ほうむられた人(被葬者[ひそうしゃ])は奈良盆地の勢力(畿内[きない])と強い結びつきがあったことは確かでしょう。被葬者は大内[おおうち]氏の祖先と言われ、朝鮮半島の百済[くだら]国から渡ってきた琳聖太子[りんしょうたいし]だという伝説もありますが、本当かどうかは定かではありません。畿内の中央政府にとって、防府は海上交通の重要な場所として見られていたので、畿内の影響を強くうけた古墳が7世紀に入って造られたのでしょう。

入口から見た羨道

玄室に置かれている家形石棺
玄室に置かれている家形石棺
 
 
 
 
 
 
 
 
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