古代の銅生産
奥に見えるのが金山
となりの長門[ながと]国には
銅銭[どうせん]
をつくる鋳銭司[じゅぜんし](長門鋳銭司[ながとじゅぜんし])がありました。その長門鋳銭司に吉敷郡の達理山[たつりやま](逵理山[きりやま]とも)から銅を掘り出して、送っていました。場所は明らかではありませんが、山口市と防府市の境目にある金山[かなやま]ではないかと考えられています。実際に、明治時代には金山に銅の採掘場があったようです。金山の南東には
切畑南[きりはたみなみ]遺跡
という銅の精錬を行っていたと考えられる遺跡があります。
825年に長門鋳銭司が廃止され、周防の国に鋳銭司が移転します。周防鋳銭司[すおうじゅぜんし]は山口市の鋳銭司から陶にかけての一帯に置かれましたが、金山のすぐ西側が周防鋳銭司になります。おそらく、金山で出た銅を銅銭の原材料として鋳銭司に送ったり、周防国府に納めたりしていたのでしょう。
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