富海は1621年(元和7年)、支藩の徳山藩の領地となりました。町人が治める「富海町」として、富海の真ん中には山陽道が通っており、中市地区には宮市の宿場よりは規模の小さい「富海宿[とのみしゅく]」が置かれて、大名行列の休息や少ない人数の宿泊に使われました。
富海には飛船[とびふね]という大型の帆をはったスピードの速い小型の船があり、大坂をはじめ、瀬戸内海沿岸や九州へ人や荷物を運んでいました。利用が盛んになるにつれて飛船の数も増加し、明治の初めには、その数は60せき以上になっていました。
飛船は、江戸時代の終わりごろには志士[しし]たちの移動に使われることも多く、吉田松陰[よしだしょういん]や高杉晋作[たかすぎしんさく]も飛船を利用して京都や大坂に渡りました。また、時には志士が飛船問屋にかくまわれることもありました。