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三八替持法

田仲藤六の羽織
田中藤六の羽織

 


田中藤六の碑(三田尻大会所跡内)

 塩業が不況になっていた時、藩は広くこの事態に対処する方法を問いました。
 これに応じて、鶴浜で塩田を経営していた田中藤六[たなかとうろく]によって提案された対処法が「三八替持法」[さんぱちかえもちほう]です。これは、3月から8月の間だけ塩をつくり、冬は生産費がかさむので塩の生産を行わず、また、ひとつの塩田を半分に分けて、交互に休ませることで塩の生産量を調整し、価格を安定させようというものでした。
 藩ははじめ、塩の生産量を減らすのは値段を不当に高くするためではないかとうたがいましたが、藤六の説得によって三八替持法を採りいれました。その後、藤六は瀬戸内海沿岸の各塩田を回って、三八替持法を説き、10か国の塩田が採り入れました。これにより、塩の価格は安定し、塩田もしだいに活気がもどってきました。
 藤六は、この働きによって、三田尻浜大会所[みたじりはまおおがいしょ]の最高責任者になりました。

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