近世の防府には、主に家臣の子供を教育する学校がありました。右田には右田毛利氏の郷校[ごうこう]・時観園[じかんえん]が、三田尻には越氏塾[えっしじゅく]という私塾[しじゅく]が河野養哲[かわのようてつ]によってつくられ、ともに名前を変えながらも明治まで続き、多くの人材を世に送り出しました。その中には、萩藩の学問的中心となった人々や、他藩の有名な学者達と交流を持った人々も少なくありません。 一方、庶民が勉強するための寺子屋[てらこや]もたくさんありました。江戸時代終わりごろの防府には寺小屋が75もあり、教育には熱心だったようです。 また、江戸時代には月の桂の庭[つきのかつらのにわ]が造られたり、木喰上人[もくじきしょうにん]が仏像を作ったりと、文化も芽吹いています。