1872年(明治5年)、新橋(東京)と横浜の間で鉄道が開通したのをはじめとして、次々と鉄道の建設が進められ、遠くはなれた場所と場所とが鉄道で結ばれていきました。防府でも、後に国の鉄道に組みこまれる山陽本線[さんようほんせん]や、私鉄の防石鉄道[ぼうせきてつどう]が開通し、大切な足として利用されました。 しかし、鉄道を敷く時には、交通の便が良くなることで客が減ることをいやがった旅館の多い町の人々から反対が出たり、蒸気機関車から出る火の粉が線路の周りの家に落ちて火事になったりするなど、技術や知識の不足からくる事故や誤解も生まれたりしました。
山陽本線の敷設