1831年(天保2年)、小鯖[おさば]村(山口市)で中関の御用商人[ごようしょうにん]石見屋嘉右衛門[いわみやかえもん]が駕籠[かご]に犬の皮をしいていたのを農民が見つけたことから騒ぎとなり、一揆[いっき]に発展しました。
当時、稲の穂が出る頃に皮革類が田の回りを通ると風雨を招くと言われており、農民達は皮革類を持ちこませないように見はる小屋を立てて、通行人の荷物を調べていました。石見屋は、皮革類を持ち歩くことで天候をくずし、米の値段が上がるのを利用してもうけようとした、と思われたのです。
一揆勢は各地で村役人や商人の家を打ちこわし、どんどんその人数を増やしていきました。この一揆は最終的には、三田尻宰判だけでなく長州藩全体を巻き込む一揆となり、十数万人が一揆に参加したと言われています。