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天保の改革

西暦
元号
事柄
1831 天保2年 7月 天保一揆
1835 天保6年 7月 心学の講和がはじまる
1837 天保8年 2月 大塩平八郎の乱
    4月 毛利敬親藩主になる
      村田清風によって藩政の改革がはじまる
1841 天保12年 12月 老中水野忠邦によって天保の改革がはじまる
      近藤芳樹を中心に『防長風土注進案』の編集がはじまる
1842 天保13年 7月 淫祠解除がはじまる
1843 天保14年 4月 萩の東方 羽賀台で大演習
1844 天保15年 6月 村田清風退陣


村田清風画像
天保の改革の指揮を
とった村田清風

 天保一揆[てんぽういっき]奥正権寺遺跡への後、萩藩では村田清風[むらたせいふう]を指導者として藩政の改革が進められました。村田清風は、藩の借金を無くすため藩全体の支出を減らし、藩内の人々に対しても強く倹約をおしすすめる一方で、下関に交易の役所を置いて、荷物を一時的に保管する倉庫の料金をとるなど藩の外から収入を増やしました。藩内では各地で産業を育てることや、不満が多かった制度をやわらげるなど人々を安定させることを目指す政策が実施されました。
 防府でも、わかりやすい道徳を説いた心学[しんがく]を広めたり、大道出身の国学者近藤芳樹[こんどうよしき]の発案による淫祠解除[いんしかいじょ]が行なわれたりしました。


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