華浦の歴史を学ぶ会
1.代表者
華浦の歴史を学ぶ会 会長 長田宏尚
2.事務局(問合せ窓口)
華浦公民館
位 置 防府市お茶屋町4−10
電 話 0835−22−9915
3.刊行物の紹介
『三田尻』−創刊号(平成13年発行)〜第3号(平成20年発行)
(主目次)
創刊号
三田尻の地名について/野村望東尼と墓所について/桑山大林寺と徳地町月輪寺の薬師如来像/史跡探訪/越氏塾と華浦小学校
第2号
地名の由来と解説/三田尻の氏神「老松神社」/正福寺と桑山霊場/村上水軍と防府/三田尻地区の企業「協和発酵工業(株)防府工場」/史跡探訪 ほか
第3号
地名の由来と解説/毛利水軍と一馬本店の工場との係わり/上山満之進
と三哲文庫/もうひとつの木喰仏/天理教防府大教会/桑山に残る史跡巡り/昔
の街並み ほか
4.地域の紹介
毛利輝元[もうりてるもと]公が新城建設候補地として、東西南北の見通しの極めて良い交通の要所たる資質の完備した桑山を挙げたのは輝元公の活眼[かつがん]であり、その時代・現在も地理的条件は極めて優位である。東南方向は海に面し三田尻港を控え農産物の集散地[しゅうさんち]であり、漁業関係の中心地でもあった。地形的には三田尻砂丘[みたじりさきゅう]、高洲砂丘[たかすさきゅう]、鞠生松原[まりふまつばら]の砂丘等は地名と共に本県地形の一つの特異性を充分示している。かつての三田尻塩の名の起こりは鞠生の松原で塩を焼いていた名残[なごり]である。
史跡・文化財となると海上安全の指標であった石造大灯籠[いしづくりだいとうろう]・醸造業[じょうぞうぎょう]としての歴史ある一馬本店[いちうまほんてん]・三田尻本陣跡(五十君「いぎみ」氏跡)・毛利綱広[もうりつなひろ]公建立の英雲荘[えいうんそう](三田尻御茶屋[みたじりおちゃや])等枚挙[まいきょ]にいとまがないほど多数に存在している。防長の維新史を語るうえで防府の土となった女流歌人野村望東尼[のむらもとに]の墓は桑山共同墓地にある。
特筆すべきは、文教の中心地、華浦である。貞享[じょうきょう]2年(1685年)河野養哲[かわのようてつ]が三田尻に越氏塾[えっしじゅく]を創設した。明和[めいわ]4年(1767年)明倫館[めいりんかん]の付属校となる。元治[げんじ]元年(1864年)講習堂[こうしゅうどう]と改められた。明治5年(1872年)建物はそのまま華浦小学校となった。また周陽学舎[しゅうようがくしゃ]が現在の山口県立防府高等学校である。更に防府市役所・防府警察署・国立総合庁舎等を考察すると現状は防府市の文教・ 行政の中心地域と言うことが出来る。
5.活動状況の写真 華浦祭「越氏塾」
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