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釈奠について
「釈奠[せきてん]」と言っても、聞いたことがない方が大半かもしれません。それもそのはず、儒学[じゅがく]の行事で、今はほとんど行われていない行事だからです。701年に日本で最初の釈奠が行われた後、長く行われ続けていましたが、1467年の応仁[おうにん]の乱以後、世の中が乱れていくと、釈奠という行事が廃れてしまったからなのです。
釈奠は儒学の祖である孔子[こうし]やその弟子の顔回[がんかい]などをまつる行事で、2月と8月の2回行われます。孔子などの像の前にお供え物をし、お祭りを行っていました。その後、論語[ろんご]などの勉強会をし、宴会をし終えるまでが釈奠という行事になります。平城京[へいじょうきょう]や平安京[へいあんきょう]などの都では大学という貴族の子供を学ばせる学校で釈奠は行われていました。というのも、大学の授業内容の1つに儒学があり、釈奠に国司だけでなく、博士や学生が参加していたからなのです。都ではいつ釈奠を行った、またはいつの釈奠を中止したなどという文献記録はたくさん残っています。
2003年の天田[あまだ]遺跡の発掘調査で、平安時代に流れていた溝の跡から、裏に「釈奠」と書かれた須恵器[すえき]が見つかりました。周防国府の近くでも釈奠を行っていたという証拠の品です。実は都以外の地方で釈奠を行ったことについては、736年に薩摩国[さつまのくに]で行ったという記録しか残っていないのです。ですから、地方で釈奠を行っていたという数少ない貴重な状況証拠ということにもなります。地方でも国学[こくがく]という学校で国司や博士・学生が参列して釈奠を行っていましたから、天田遺跡の近くに国学の存在した可能性も考えられます。
須恵器の裏に墨で「釈奠」と書かれただけの地味な遺物ですが、たくさんの情報を投げかけてくれる重要な遺物なのです。
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