縄文時代〜平安時代
時代
西暦
和暦
事項と関連項目
縄文
縄文早期
小野、牟礼に人々が生活する。
防府の歴史「台ヶ原遺跡」(1-2)
、
防府の歴史「縄文土器」(1-4)
縄文中期
大道・大崎に居住の痕跡。
防府の歴史「台ヶ原遺跡」(1-2)
縄文晩期
高井・下右田・小野・牟礼に生活の痕跡(下右田遺跡、奥正権寺遺跡、大崎遺跡、小野中学校敷地遺跡)。
防府の歴史「奥正権寺遺跡」(1-3)
、
防府の歴史「2種類の縄文土器」(1-5)
、
防府の歴史「高井団地の縄文土器」(1-6)
、
防府の歴史「下右田遺跡」(2-2)
、
防府の歴史「井上山遺跡」(2-4)
、
防府の歴史「分銅形土製品」(2-25)
弥生
前300
九州北部から稲作が伝わる。
防府の歴史「稲作の伝来」(2-22)
下右田で農耕が始まる。
防府の歴史「下右田遺跡」(2-2)
、
防府の歴史「弥生時代の生活の場所」(2-3)
、
防府の歴史「弥生土器」(2-10)
、
防府の歴史「石器」(2-14)
、
防府の歴史「ミニチュア土器」(2-26)
前221
秦の始皇帝、中国統一。
分銅形土製品がはやる。
防府の歴史「分銅形土製品」(2-25)
鉄器が徐々に広まる。
大きな集落ができはじめる。
古墳
57
倭の奴国王、後漢に使いを送り「漢委奴国王」の金印を授かる。
239
邪馬台国の女王卑弥呼が魏に使いを送る。
4世紀
周防東部に大型前方後円墳が造られる。以後周防の中心地の位置を占める。
防府の歴史「古墳時代」(3-1)
5世紀後半
西浦に黒山一号墳が造られる。
防府の歴史「田島・西浦周辺の古墳」(3-18)
6世紀前半
筑紫君磐井、大和政権に異を唱え、敗北。
山口盆地、椹野川流域で九州から横穴式石室、須恵器生産が伝わる。畿内政権と関係がある宗像氏関与か。
6世紀中頃
台道に岩淵古墳が造られる。防府平野の群集墳造営始まる。
防府の歴史「古墳時代」(3-1)
、
防府の歴史「台道周辺の古墳」(3-22)
飛鳥
593
聖徳太子が推古天皇の摂政となる。
600
新羅、任那と戦い、出兵。
603
新羅討伐のため、九州まで兵を進める。来目皇子(聖徳太子の弟)がなくなり、周防娑婆で殯を行う。との記事が『日本書紀』にみられる。
この前後、防府平野で唯一埴輪を樹立する桑山塔ノ尾古墳が造られる。来目皇子の殯に深く関連か。
防府の歴史「桑山塔ノ尾古墳」(3-7)
、
防府の歴史「桑山塔ノ尾古墳の副葬品」(3-8)
、
防府の歴史「防府と毛利重就」
敷山窯で須恵器が作られる。
防府の歴史「須恵器」(3-11)
6〜7世紀
半島より渡来人、防府平野に定着。
7世紀前半
片山古墳、鋳物師大師塚古墳(市指定史跡)の前方後円墳が防府平野に登場。
防府の歴史「鋳物師大師塚古墳」(3-6)
、
防府の歴史「右田・高井周辺の古墳」(3-19)
、
防府の文化財「鋳物師大師塚」
防府平野がすでに周防の中心地になる。
白鳳
645
大化
乙巳の変・・・中大兄皇子ら蘇我氏を滅ぼす。
663
白村江の戦いで敗戦。
北部九州、瀬戸内一帯で古代山城が築かれる。
車塚古墳(市指定史跡)が造られる。
防府の歴史「車塚古墳」(3-5)
、
防府の文化財「車塚古墳」
大日古墳(国指定史跡)が造られる。
防府の歴史「大日古墳」(3-3)
、
防府の歴史「大日古墳の石室」(3-4)
、
防府の文化財「大日古墳」
この頃から周防国司(国府の前身)の遺物は出現。周防国宰所に関連か?
681
周防国が初めて文献資料に見える。(『日本書紀』)
685
周防総令所の記事が『日本書紀』にある。総令所の所在地は不明。
689
飛鳥浄御原令施行。
この頃から末田に須恵器の窯が築かれ、周防国司(国府の前身)に供給。
防府の歴史「土器の変化」(4-41)
、
防府の歴史「末田窯跡」(4-43)
694
藤原京に都をうつす。
この頃、「佐波評」の名が藤原京木簡にはじめて見られる。
701
大宝元年
大宝律令が施行される。
701・704
台風が襲来。周防国府被害を受ける。
奈良
710
和銅3年
平城京に都をうつす。
8世紀前半
国庁(政庁)が設置され、国府は形を整える。
防府の歴史「周防国府」(4-3)
〜
防府の歴史「山升地区」(4-28)
、
防府の文化財「周防国衙跡」
下右田遺跡に大型掘立柱建物現れる。佐波郡家に関連か?
741
天平13年
聖武天皇による国分寺建立の詔。
防府の歴史「国分寺建立の詔」(4-2)
周防国分寺の造営始まる。
防府の歴史「国分寺」(4-30)
〜
防府の歴史「国分寺の井戸」(4-34)
、
防府の文化財「周防国分寺旧境内」
752
天平勝宝4年
東大寺大仏開眼供養が行われる。
756
天平勝宝8年
『続日本紀』に周防国分寺の記事あり。少なくとも金堂は完成か?
防府の歴史「国分寺」(4-30)
784
延暦3年
長岡京に都をうつす。
平安
794
延暦13年
平安京に都をうつす。
9世紀前半
周防国府は最盛期を迎える。
825
鋳銭司が長門から移転し、周防鋳銭司が置かれる。
防府の歴史「古代の銅生産」(4-39)
この頃までには周防国の等級が中国から上国にあがる。
防府の歴史「行田部地区」(4-19)
849
国司が増員される。
この頃国府には朱雀路が設置される。
防府の歴史「山陽道」(4-29)
889
寛平元年
大前駅家が廃止になる。
894
寛平6年
菅原道真の進言により遣唐使が廃止になる。
901
延喜元年
菅原道真が大宰府に左遷される途中、防府に立ち寄ったと伝えられる。
防府の歴史「菅原道真」(4-48)
、
防府の歴史「御神幸祭」(4-51)
松崎天神(現在の防府天満宮)が造られる。
防府の歴史「松崎天神」(4-49)
10世紀前半
周防産緑釉陶器を生産し始め、遺跡南側に国府は集中する。
防府の歴史「平安時代の細工所」(4-24)
、
防府の歴史「陶磁器の出現」(4-42)
940
天慶3年
周防鋳銭司が焼失する。
974
天延2年
清原元輔(清少納言の父)、周防国司赴任の旨を奏上する。
1017
寛仁元年
藤原道長、太政大臣になる。
11世紀前半
在地の有力者や国司の在住により在庁官人制が成立か。
1052
永承7年
末法第1年とされる(他に諸説あり)
防府の歴史「末法思想」(4-44)
1073
延久5年
大江家国、史記呂后本紀第九(国宝)を書写する。
防府の文化財「史記呂后本紀第九」
1100
井上山や日輪寺に経塚が造られる。
防府の歴史「末法思想」(4-44)
、
防府の文化財「井上山経塚出土品」
、
「日輪寺経塚遺物」
1172
承安2年
防府天満宮に金堂宝塔(重文)が納められる。
防府の文化財「金銅宝塔」
1180
治承4年
源平の争乱により東大寺が焼失する。
1181
養和元年
俊乗房重源、東大寺造営勧進の宣旨を受ける。
防府の歴史「重源」(5-2)
、
防府の歴史「東大寺再興」(5-3)
、
防府の歴史「佐波川関水」(5-5)
1185
文治元年
壇ノ浦の合戦。
周防国船奉行船所五郎正利、兵船を源義経に献じる。
1186
文治2年
周防国が東大寺造営料国になる。重源が周防国に下向する。
防府の歴史「重源」(5-2)
、
防府の歴史「東大寺再興」(5-3)
、
防府の歴史「東大寺槌印」(5-4)
、
防府の歴史「佐波川関水」(5-5)
、
防府の歴史「阿弥陀寺」(5-6)
1187
文治3年
後白河法皇の祈願所として、阿弥陀寺が創建される。
防府の歴史「重源」(5-2)
、
防府の歴史「東大寺再興」(5-3)
、
防府の歴史「東大寺槌印」(5-4)
、
防府の歴史「阿弥陀寺」(5-6)
〜
防府の歴史「重源の時代の湯屋」(5-9)
、
防府の文化財「鉄宝塔(水晶五輪塔共)」
、
「木造重源坐像」
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