江戸時代
時代
西暦
和暦
事項と関連項目
江戸
1603
慶長8年
江戸幕府が開かれる。
毛利輝元、国司元蔵への手紙の中で、桑山は地理的には築城に良いが砂山であり、石垣の施工に困難なので他に土地を選びたい旨を伝える。
1604
慶長9年
萩城ができる。
萩往還が整備される。
防府の歴史「近世の交通」(6-2)
、
防府の歴史「萩往還」(6-5)
、
防府の文化財「萩往還」
1607
慶長12年
佐世長門守元嘉が妙法蓮華経八巻(市指定有形文化財)を防府天満宮に寄贈する。
防府の文化財「妙法蓮華経八巻」
二宮就辰(毛利元就子)没。
1611
慶長16年
水軍の本拠地である御舟倉を下松から三田尻に移す。
防府の歴史「三田尻御舟倉」(6-10)
、
防府の文化財「萩往還関連遺跡三田尻御舟倉跡」
1614
慶長19年
大阪冬の陣。輝元が参加する。
1615
元和元年
大阪夏の陣。
1618
元和4年
防府天満宮宮司永真、紙本墨書源氏物語(市指定有形文化財)を寄進する。
防府の歴史「江戸時代の防府天満宮」(6-34)
、
防府の文化財「紙本墨書源氏物語」
1625
寛永2年
毛利元倶、領地の交換により三丘(周南市)から右田に入る。総受寺を天徳寺と改め、先代の牌所とする。天徳寺はその後菩提寺となる。
防府の歴史「右田毛利氏」(6-4)
1626
寛永3年
毛利秀就、後水尾天皇より太刀、馬寮馬具を拝領する(県指定有形文化財)。
防府の文化財「毛利秀就関係資料」
1628
寛永5年
右田毛利氏の郷校である時観園が設立される。
防府の歴史「時観園」(6-31)
潮合開作が築立られ、それまで島だった田島が陸続きとなる。
防府の歴史「開作」(6-15)
1629
寛永6年
毛利秀就が防府天満宮の石大鳥居(県指定有形文化財)を作らせる。
防府の歴史「江戸時代の防府天満宮」(6-34)
、
防府の文化財「防府天満宮の石大鳥居」
1633
寛永10年
五十君家が三田尻の町を整備した功績により三田尻本陣に指定される。
防府の歴史「三田尻」(6-7)
1637
寛永14年
島原の乱
1641
寛永18年
鎖国が完成する。
1642
寛永19年
宮市の兄部家が宮市本陣になる。
防府の歴史「近世の兄部家」(6-6)
、
防府の文化財「萩往還関連遺跡宮市本陣兄部家」
毛利輝元の長女が鐘楼とともに梵鐘(市指定有形文化財)を観音寺(岩淵)に寄進する。
防府の歴史「鋳物師」(6-16)
、
防府の文化財「岩淵観音寺の梵鐘」
1646
正保3年
萩藩が東大寺領となっている国衙土居八町の地を収公し、毎年現米100石を大坂で給する旨が東大寺に伝えられ、東大寺は承諾。
防府の歴史「国庁寺」(6-38)
植松村宗金開作、泥江開作築立。
1648
慶安元年
中関の赤石開作築立。
防府の歴史「開作」(6-15)
1650
慶安3年
国衙土居八町の地の代わりに、毎年現米350石を給する。
防府の歴史「国庁寺」(6-38)
1651
慶安4年
西浦開作築立。
防府の歴史「開作」(6-15)
1653
承応2年
毛利就信が防府天満宮に浅黄糸威鎧(重文)を寄進する。
防府の歴史「鋳物師」(6-34)
、
防府の文化財「浅黄糸威鎧」
1654
承応3年
第2代萩藩主毛利綱広、三田尻御茶屋を造らせる(国史跡)。
防府の歴史「三田尻御茶屋」(6-11)
、
防府の文化財「萩往還関連遺跡三田尻御茶屋旧構内」
阿弥陀寺の湯屋(重要有形民俗文化財)が再建される。
防府の歴史「江戸時代の阿弥陀寺」(6-37)
、
防府の文化財「阿弥陀寺の湯屋」
1665
寛文5年
東大寺槌印(重文)が阿弥陀寺に寄進される。
防府の歴史「江戸時代の阿弥陀寺」(6-37)
、
防府の文化財「鉄印東大寺槌印」
1678
延宝6年
西浦鹿角開作潮留。
防府の歴史「開作」(6-15)
1685
貞享2年
毛利就信が阿弥陀寺の仁王門(市指定有形文化財)を再建する。
防府の歴史「江戸時代の阿弥陀寺」(6-37)
、
防府の文化財「阿弥陀寺仁王門」
遠藤開作築立。
防府の歴史「開作」(6-15)
1687
貞享4年
宇佐八幡宮焼失。
防府の文化財「宇佐八幡宮本殿」
1688
元禄元年
毛利就信、宇佐八幡宮本殿(市指定有形文化財)を再建する。
防府の歴史「近世の宗教」(6-33)
、
防府の文化財「宇佐八幡宮本殿 宇佐八幡宮拝殿」
自力開作築立。
防府の歴史「開作」(6-15)
1699
元禄11年
三田尻大開作がつくられはじめる。
防府の歴史「開作」(6-15)
、
防府の歴史「近世の塩業」(6-17)
、
防府の歴史「入浜式塩田」(6-19)
周防国分寺本尊ほか仏像48体が修理・彩色される。
防府の歴史「江戸時代の国分寺」(6-35)
1702
元禄15年
勝間開作築立。
防府の歴史「開作」(6-15)
1707
地震。
1711
正徳元年
朝鮮通信使の一行が三田尻沖に一泊する。山県周南が赤間関で朝鮮通信使と筆語唱酬し、名声を博する。
1712
正徳2年
右田毛利氏陪臣(家臣)の桂忠運、自邸に「月の桂の庭」を造る。
防府の歴史「月の桂の庭」(6-46)
1714
正徳4年
国分寺開作完成。
防府の歴史「開作」(6-15)
1715
正徳5年
三田尻に住吉神社が勧請される。
防府の文化財「住吉神社の石造燈台」
1716
享保元年
徳川吉宗が将軍になる。享保の改革はじまる。
1717
享保2年
古上地開作(中野開作)潮留。
防府の歴史「開作」(6-15)
、
防府の歴史「中浜」(6-22)
江の内開作築立。
防府の歴史「開作」(6-15)
1719
享保4年
萩に藩校明倫館がつくられる。
防府の歴史「近世の教育」(6-30)
朝鮮通信使の一行、田島西泊に一泊する。
萩藩当職の桂広保、河野養哲の功労を賞して彼の家の租税を免除し、文学・素読の指南に尽力させる。
防府の歴史「越氏塾」(6-32)
、
防府の文化財「越氏塾資料」
1724
享保9年
農民7人、植松の自力開作を築立。
防府の歴史「開作」(6-15)
1727
享保12年
河野養哲没。遺言に従って彼の塾を郷学とし、経費を地元負担とし三田尻稽古場と称する(のちの越氏塾)。
防府の歴史「越氏塾」(6-32)
、
防府の文化財「越氏塾資料」
玉祖神社・松崎天満宮修理。
1729
享保14年
切畑玉祖神社の梵鐘(市指定有形文化財)が鋳造される。
防府の歴史「鋳物師」(6-16)
、
防府の文化財「切畑玉祖神社の梵鐘」
将軍へ献上される象が江戸へ向かう途中宮市、富海を経由する。
1731
この年までに阿弥陀寺の再興がほぼ終わる。
瀧鶴台、時観園儒役になる。
1732
享保17年
稲の害虫であるウンカ(イナゴ)が西日本を中心に大発生し、稲が不作となって大飢饉が発生する(享保の大飢饉)。
1738
元文3年
田島中野開作と中浜開作築立。
防府の歴史「開作」(6-15)
、
防府の歴史「中浜」(6-22)
1742
寛保2年
佐野村の庄屋、「佐野村由来書」を提出し、その中で佐野焼(佐野壺)の由来を述べる。
防府の歴史「佐野焼」(7-17)
船橋が作られる。
1742
寛保3年
老松神社焼失。
1747
延享4年
阿弥陀寺文書(県指定有形文化財)整理される。
防府の歴史「江戸時代の阿弥陀寺」(6-37)
、
防府の文化財「阿弥陀寺文書」
1748
寛延元年
江泊開作、岸津前開作が築立。
防府の歴史「開作」(6-15)
、
防府の歴史「入浜式塩田」(6-19)
1749
寛延2年
宮市で大火。146戸焼失。
1751
宝暦元年
毛利重就、第7代萩藩主となる。
防府の歴史「防府と毛利重就」(6-12)
1752
宝暦2年
鶴浜開作築立。
防府の歴史「防府と毛利重就」(6-12)
、
防府の歴史「鶴浜」(6-23)
1753
宝暦3年
萩藩主毛利重就、実兄の右田毛利氏当主、毛利広定を当職に任命する。
防府の歴史「防府と毛利重就」(6-12)
1756
宝暦6年
江泊開作の塩田が成立。阿弥陀寺開作、東西塩屋開作の工事着手。
防府の歴史「開作」(6-15)
、
防府の歴史「開作」(6-15)
、
防府の歴史「入浜式塩田」(6-19)
1761
宝暦11年
滝鶴台、萩藩の一代儒役に採用される。
防府の歴史「時観園」(6-31)
1762
宝暦12年
華城の農民、自力開作を完成。西浦下自力開作(熊野開作)完成。
防府の歴史「開作」(6-15)
1763
宝暦13年
防長両国の検地が完了。増えた5万石をもとに撫育方を創設。
防府の歴史「防府と毛利重就」(6-12)
1764
明和元年
大浜に塩田が作られる。
防府の歴史「大浜」(6-24)
、
防府の文化財「枡築らんかん橋」
1765
明和2年
鶴浜に塩田が作られる。
防府の歴史「防府と毛利重就」(6-12)
、
防府の歴史「鶴浜」(6-23)
1767
明和4年
大浜開作が造られはじめる。
防府の歴史「防府と毛利重就」(6-12)
毛利重就が国分寺仁王門を修理する。
防府の歴史「防府と毛利重就」(6-12)
、
防府の歴史「江戸時代の国分寺」(6-35)
、
防府の文化財「周防国分寺楼門」
1768
明和5年
中関宰判が置かれる。
防府の歴史「中関」(6-8)
1769
明和6年
三田尻大会所が設置される。
防府の歴史「製塩不況」(6-18)
、
防府の歴史「三田尻浜大会所」(6-29)
、
防府の文化財「三田尻大会所跡」
大地震発生。
1771
明和8年
鶴浜の塩田浜主、田中藤六が三八替持法を提案する。
防府の歴史「製塩不況」(6-18)
、
防府の歴史「三八替持法」(6-28)
田中藤六の尽力により、備後・安芸・伊予・周防で休浜が開始される。
防府の歴史「製塩不況」(6-18)
、
防府の歴史「三八替持法」(6-28)
1772
安永元年
田中藤六、名字帯刀を許され浜方大年寄役となる。
防府の歴史「製塩不況」(6-18)
、
防府の歴史「三八替持法」(6-28)
1773
安永2年
滝鶴台没。
防府の歴史「時観園」(6-31)
1776
安永5年
毛利重就が三田尻御茶屋を修理する。
防府の歴史「防府と毛利重就」(6-12)
、
防府の文化財「萩往還関連遺跡三田尻御茶屋旧構内」
大楽寺の梵鐘(市指定有形文化財)が鋳造される(三田尻御舟倉の時鐘)。
防府の歴史「鋳物師」(6-16)
、
防府の文化財「大楽寺の梵鐘」
勝間開作潮留。
防府の歴史「開作」(6-15)
三田尻塩の販路が開ける。北陸・山陰・東山へ向けて年に17〜8石を積み出す。
防府の歴史「北前船」(6-27)
1777
安永6年
田中藤六没。
防府の歴史「製塩不況」(6-18)
、
防府の歴史「三八替持法」(6-28)
1778
安永7年
地震。
1779
安永8年
国分寺金堂が再建される(上棟)。
防府の歴史「江戸時代の国分寺」(6-35)
、
防府の歴史「再建時の大工道具」(6-36)
、
防府の文化財「国分寺金堂」
越氏塾が移転、その際に三田尻御茶屋の古材で建物を修築する。
防府の歴史「越氏塾」(6-32)
、
防府の文化財「越氏塾資料」
1782
天明2年
毛利重就隠居、子の治親が第8代萩藩主となる。
防府の歴史「防府と毛利重就」(6-12)
1783
天明3年
加藤伝蔵、中関の再開発に着手する。
防府の歴史「中関」(6-8)
毛利重就、隠居後の住居を三田尻御茶屋に定め、側室や子供とともに移り住む。三田尻御茶屋は三田尻御殿と呼ばれる。
防府の歴史「防府と毛利重就」(6-12)
、
防府の文化財「萩往還関連遺跡三田尻御茶屋旧構内」
1784
天明4年
中関宰判が廃止される。
1785
天明5年
桑山塔ノ尾古墳が発見される。
防府の歴史「防府と毛利重就」(6-12)
1787
天明7年
西浦前ヶ浜開作潮留。
防府の歴史「開作」(6-15)
、
防府の歴史「西浦前ヶ浜」(6-25)
1789
寛政元年
毛利重就没。
防府の歴史「防府と毛利重就」(6-12)
宮市で大火、本陣の兄部家も焼失する。
1790
寛政2年
三田尻塩を陸奥国に輸出しはじめる。
防府の歴史「北前船」(6-27)
1791
寛政3年
末田焼(堀越焼)開窯。
筑前藩、防長塩田向け石炭輸出を許可する。
1792
寛政4年
三田尻御茶屋の不用木材で越氏塾の建物を建てる。
防府の歴史「越氏塾」(6-32)
、
防府の文化財「越氏塾資料」
1799
寛政11年
木喰上人が防府市内に滞在し、仏像を作る。
防府の歴史「木喰上人」(6-47)
1800
享和元年
この年より、防長の塩田の代表による会議が年2回室積(光)で開催される。
防府の歴史「三田尻浜大会所」(6-29)
1806
文化3年
伊能忠敬が地図作成の測量を周防・長門でも開始する。
文化8年
萩藩が、大年寄の上申に基づき、各浜の操業開始(持始め)、操業終了(持止め)を定める(文化の根規定)。
防府の歴史「製塩不況」(6-18)
、
「三田尻浜大会所」(6-29)
1817
文化14年
野島で大火があり、125軒中112軒が焼失。
1818
文政元年
台道岩淵の女性お石が、孝行により藩府より表彰され、米一俵をうける。のちに名字「石川」を与えられる。
防府の歴史「幕末の教育・文化」(9-18)
1819
文政2年
右田領主毛利房顕、宇佐八幡宮拝殿(市指定有形文化財)を再建する。
防府の文化財「宇佐八幡宮本殿 宇佐八幡宮拝殿」
1822
文政5年
富海浦開作築立開始(翌年潮留)。
防府の歴史「開作」(6-15)
三田尻の医師杉山宗立、乳がんの手術を行う。
防府の歴史「幕末の教育・文化」(9-18)
三田尻の医師南部伯民、コレラ病に関する最初の書「胡廬利病説並治方」を著す。
防府の歴史「幕末の教育・文化」(9-18)
1823
文政6年
富海浦開作築立。
1824
文政7年
西浦新開作の潮留。
防府の歴史「開作」(6-15)
1825
文政8年
富海の八崎開作築立開始。
防府の歴史「開作」(6-15)
杉山宗立、シーボルトに論文を提出し、三田尻浜の製塩方について述べる。
防府の歴史「近世の塩業」(6-17)
1828
文政11年
遠ヶ崎開作潮留。
防府の歴史「開作」(6-15)
1831
天保2年
天保一揆が発生する。
防府の歴史「天保一揆」(9-2)
富海の飛船総代7人、徳山藩に対してそれまでは年3回届出の「御往来書」を年1回としたいと嘆願、許可される。
1835
天保6年
心学の講和がはじまる。
防府の歴史「天保の改革」(9-3)
1837
天保8年
大塩平八郎の乱
防府の歴史「天保の改革」(9-3)
毛利敬親藩主になる。
防府の歴史「天保の改革」(9-3)
村田清風によって萩藩の藩政改革がはじまる。
防府の歴史「天保の改革」(9-3)
仁井令で一揆。中関・三田尻でも騒ぎが起こる。
防府の歴史「天保の改革」(9-3)
1841
天保12年
水野忠邦によって天保の改革がはじまる。
この年、富海浦の飛船業者は60人を超える。
萩藩、近藤芳樹に命じて「国郡志」の編さんに着手させる。後に『防長風土注進案』として完成する。
防府の歴史「天保の改革」(9-3)
この年、牟礼村に壺焼3軒。
1842
天保13年
淫祠解除がはじまる。
防府の歴史「天保の改革」(9-3)
この年、佐野焼の窯業者は70軒。
防府の歴史「佐野焼」(7-17)
1843
天保14年
萩の東方 羽賀台で大演習が行われる。
防府の歴史「天保の改革」(9-3)
、
防府の歴史「軍制の改革」(9-4)
牟礼沖ノ原に荒瀬塾が開設される。
防府の歴史「近世の教育」(6-30)
村田清風退陣。
防府の歴史「天保の改革」(9-3)
1844
弘化元年
右田領主毛利元統、郷校学文堂を整備する。
防府の歴史「時観園」(6-31)
1846
弘化3年
この年三田尻宰判戸籍調査、戸数は6071戸。
防府の歴史「近世の交通」(6-2)
1847
弘化4年
右田毛利氏陪臣東条英庵、幕府の西洋書翻訳用掛となる。
防府の歴史「幕末の教育・文化」(9-18)
1849
嘉永2年
梅田幽斎、長崎で種痘法を学び三田尻においてこれを行う。
防府の歴史「幕末の教育・文化」(9-18)
1850
嘉永3年
杉山宗立、萩の医学館で種痘(天然痘の予防接種)法を伝習し、三田尻勘場で種痘を行う。
防府の歴史「幕末の教育・文化」(9-18)
1851
嘉永4年
毛利敬親が三田尻御茶屋を修理する。
西浦焼はじまる。
防府の歴史「西浦焼」(7-19)
医師能美洞庵、西洋医学の発展に尽くした功績を賞される。
防府の歴史「幕末の教育・文化」(9-18)
ペリ−来航
防府の歴史「軍制の改革」(9-4)
1853
嘉永6年
日米和親条約
防府の歴史「軍制の改革」(9-4)
1854
安政元年
鈴木重胤、岡本三右衛門のために「稜威神習処詞」を書く。
防府の歴史「志士たちに協力した人々」(9-14)
周布政之助によって萩藩の藩政改革がはじまる。
1858
安政5年
日米修好通商条約
甲谷兵庫、使者として毛利敬親に孝明天皇からの討幕の密勅を伝える。
防府の歴史「防府出身の志士」(9-13)
1859
安政6年
安政の大獄
1860
万延元年
桜田門の変
越氏塾移転、開校式。
防府の歴史「越氏塾」(6-32)
、
防府の文化財「越氏塾資料」
高杉晋作、宮市の岡本三右衛門を訪問する。
防府の歴史「防府を訪れた志士」(9-11)
、
防府の歴史「志士たちに協力した人々」(9-14)
1861
文久元年
長州藩、長井雅楽の航海遠略策を建白する。
高杉晋作、富海から江戸に向かう。
防府の歴史「防府を訪れた志士」(9-11)
大楽源太郎、松浦松洞(吉田松陰の門人)とともに岡本三右衛門を訪問して一泊する。
防府の歴史「防府出身の志士」(9-13)
、
防府の歴史「志士たちに協力した人々」(9-14)
高杉晋作、再度富海から上京する。
防府の歴史「防府を訪れた志士」(9-11)
1862
文久2年
寺田屋事件
生麦事件
台道切畑で郷勇隊が結成される。
防府の歴史「諸隊」(9-5)
攘夷派公卿の中山忠光、天誅組の変で京都から逃れ、大和屋政助の船で富海に着く。翌日萩に入る。
防府の歴史「防府を訪れた志士」(9-11)
、
防府の歴史「志士たちに協力した人々」(9-14)
1863
文久3年
高杉晋作、富海に着き、翌日岡本三右衛門を訪ね一泊する。
防府の歴史「防府を訪れた志士」(9-11)
幕府より攘夷の命令が出される。
防府の歴史「八月十八日の政変」(9-7)
長州藩、下関において外国船に砲撃を行う。
防府の歴史「八月十八日の政変」(9-7)
岡本三右衛門、奇特の行い多いとして大専坊にて賞される。彼はこれ以前に何度も賞されている。
防府の歴史「志士たちに協力した人々」(9-14)
藩府を山口へ移すことが決定される。
防府の歴史「勝坂砲台」(9-6)
勝坂に砲台が整備される。
防府の歴史「勝坂砲台」(9-6)
三田尻御舟倉を廃止し、洋式海軍士官養成の学校設立が決定する。
防府の歴史「軍制の改革」(9-4)
、
防府の文化財「萩往還関連遺跡三田尻御舟倉跡」
先の砲撃に対する、外国船からの反撃
奇兵隊結成
防府の歴史「諸隊」(9-5)
旗本の中根市之丞、幕府の門責使として長州藩へ赴く。
防府の歴史「八月十八日の政変」(9-7)
八月十八日の政変
防府の歴史「八月十八日の政変」(9-7)
三条実美ら七卿が京都から逃れ、三田尻御茶屋に入る。
防府の歴史「八月十八日の政変」(9-7)
、
防府の歴史「七卿」(9-8)
、
防府の文化財「萩往還関連遺跡三田尻御茶屋旧構内」
中根市之丞一行が中関沖で暗殺される。
防府の歴史「八月十八日の政変」(9-7)
奇兵隊、七卿守護のため三田尻へ転陣。
防府の歴史「七卿」(9-8)
三田尻御茶屋の一角に招賢閣が設けられる。
防府の歴史「七卿」(9-8)
、
防府の文化財「萩往還関連遺跡三田尻御茶屋旧構内」
七卿の一人沢宣嘉、大和屋政助の船で三田尻を脱走。
防府の歴史「七卿」(9-8)
、
防府の歴史「志士たちに協力した人々」(9-14)
奇兵隊、鞠生松原で訓練を行う。
防府の歴史「七卿」(9-8)
三条実美ら六人、山口へ移転。
防府の歴史「七卿」(9-8)
遊撃隊結成、防府天満宮大専坊に本陣を置く。
防府の歴史「江戸時代の防府天満宮」(6-34)
、
防府の歴史「諸隊」(9-5)
、
防府の歴史「防府を訪れた志士」(9-11)
、
防府の文化財「防府天満宮大専坊跡」
三田尻御舟倉を海軍局とあらためる。
防府の歴史「軍制の改革」(9-4)
、
防府の文化財「萩往還関連遺跡三田尻御舟倉跡」
時政亀蔵、報国団を結成する。
防府の歴史「諸隊」(9-5)
住吉神社の石造燈台ができる
防府の文化財「萩往還関連遺跡住吉神社石造燈台」
入江石泉、富海に私費で文学塾・演武場を設ける。
防府の歴史「防府出身の志士」(9-13)
越氏塾を三田尻講習堂と名前をかえる。
防府の歴史「越氏塾」(6-32)
、
防府の文化財「越氏塾資料」
1864
元治元年
市勇隊(羅漢寺大砲隊)が編成される。
防府の歴史「諸隊」(9-5)
久坂玄瑞、大楽源太郎を訪問する。
防府の歴史「防府を訪れた志士」(9-11)
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防府の歴史「防府出身の志士」(9-13)
藩主父子、高杉晋作に京都へ出兵しようと企図した来島又兵衛慰留を命じるが失敗、来島の暴言をうけて高杉は京都へ脱走。
防府の歴史「江戸時代の防府天満宮」(6-34)
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防府の歴史「諸隊」(9-5)
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防府の歴史「防府を訪れた志士」(9-11)
池田屋事件。宇佐八幡宮の神官の佐伯稜威雄が負傷して捕らえられ、のちに刑死。
防府の歴史「禁門の変と第一次長州征伐」(9-9)
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防府の歴史「防府出身の志士」(9-13)
繁枝の松原(大道)で大操練が行われる。
伊藤博文・井上馨、留学先のイギリスより急遽帰国する。富海の入本屋磯七の宅て休憩し、山口へ向かう。
防府の歴史「禁門の変と第一次長州征伐」(9-9)
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防府の歴史「防府を訪れた志士」(9-11)
禁門の変(蛤御門の変)
防府の歴史「諸隊」(9-5)
藩主父子、五卿ともに上京中禁門の変での敗戦の報が入り、三田尻に戻る。
防府の歴史「禁門の変と第一次長州征伐」(9-9)
藩主毛利敬親、大専坊で支藩主や重臣たちと藩の今後について話し合いを行う。
防府の歴史「江戸時代の防府天満宮」(6-34)
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防府の文化財「防府天満宮大専坊跡」
徳永秀之、禁門の変に参加するも敗北、藩に戻り預かっていた公金を返却する。
防府の歴史「防府出身の志士」(9-13)
第一次長州征伐
防府の歴史「禁門の変と第一次長州征伐」(9-9)
四国艦隊下関砲撃事件
防府の歴史「禁門の変と第一次長州征伐」(9-9)
招賢閣の名称が廃止される。
防府の歴史「七卿」(9-8)
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防府の歴史「禁門の変と第一次長州征伐」(9-9)
周布政之助切腹
高杉晋作、富海の大和屋政助の土蔵に潜伏し、船で九州へ向かう。
防府の歴史「禁門の変と第一次長州征伐」(9-9)
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防府の歴史「防府を訪れた志士」(9-11)
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防府の歴史「志士たちに協力した人々」(9-14)
御楯隊が結成される。
防府の歴史「諸隊」(9-5)
高杉晋作、功山寺で挙兵。
防府の歴史「禁門の変と第一次長州征伐」(9-9)
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防府の歴史「防府を訪れた志士」(9-11)
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防府の歴史「大政奉還」(9-15)
保守派追放
防府の歴史「大政奉還」(9-15)
1865
慶応元年
大楽源太郎ら、忠憤隊を結成。
防府の歴史「諸隊」(9-5)
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防府の歴史「防府出身の志士」(9-13)
三田尻に海軍学校設置。
防府の歴史「軍制の改革」(9-4)
桑山に招魂場ができる。
右田毛利氏の家臣団が南第五大隊・南第六大隊に編成替えされる。一部は後に戊辰戦争で戦う。
薩長同盟
防府の歴史「大政奉還」(9-15)
1866
慶応2年
鯖山に製蝋局が設置される。
防府の歴史「軍制の改革」(9-4)
三田尻講習堂が明倫館の管轄となる。
防府の歴史「越氏塾」(6-32)
講習堂の手習場を三田尻小学舎と改称する。
防府の歴史「越氏塾」(6-32)
第二次長州征伐(四境戦争)
防府の歴史「大政奉還」(9-15)
時政亀蔵、一新組を組織する。御楯隊の付属隊として芸州口へ出陣。
防府の歴史「諸隊」(9-5)
右田毛利の家臣団が石州へ出陣。
防府の歴史「諸隊」(9-5)
将軍徳川家茂死去
防府の歴史「大政奉還」(9-15)
イギリスのキング提督と毛利敬親・元徳父子会談
防府の歴史「大政奉還」(9-15)
大楽源太郎、私塾西山書屋を開く。
防府の歴史「防府出身の志士」(9-13)
貞永幽之助、自身所有の問屋口の屋敷を藩に献納する。
防府の歴史「志士たちに協力した人々」(9-14)
1867
慶応3年
野村望東尼、防府天満宮で必勝祈願を行う。7日間毎日水ごりをし、歌一首を詠む。
防府の歴史「江戸時代の防府天満宮」(6-34)
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防府の歴史「防府を訪れた志士」(9-11)
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防府の歴史「野村望東尼」(9-12)
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防府の文化財「野村望東尼終焉の宅及び宅跡並びに墓」
大政奉還・討幕の密勅
防府の歴史「大政奉還」(9-15)
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防府の歴史「討幕への門出」(9-16)
右田領主毛利親信(藤内)、京都の出兵にあたって総督となる。
防府の歴史「大政奉還」(9-15)
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防府の歴史「討幕への門出」(9-16)
長州・薩摩両藩の兵が鞠生松原に集結
防府の歴史「防府を訪れた志士」(9-11)
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防府の歴史「大政奉還」(9-15)
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防府の歴史「討幕への門出」(9-16)
野村望東尼、荒瀬百合子宅で没。
防府の歴史「防府を訪れた志士」(9-11)
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防府の歴史「野村望東尼」(9-12)
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防府の文化財「野村望東尼終焉の宅及び宅跡並びに墓」
王政復古の大号令
防府の歴史「大政奉還」(9-15)
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防府の歴史「討幕への門出」(9-16)
戊辰戦争(〜1869年)
防府の歴史「大政奉還」(9-15)
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防府の歴史「討幕への門出」(9-16)
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